2014年2月1日土曜日

Wish to be there.. back in 80s

この間ふと、

80年代の最初の頃に

よく聴いてた曲を

掛けて聴いていると・・

何もかも夢見れた

「あの時代」に帰りたい、

「夢」の終わった

「今」の時代は

悲しすぎる。。


「日本」はもう

「あの頃」の

輝きは

今取り戻せないから・・

「夢を見て」生きて許される時代は

終わったのであろうか?・・




「ふと」

思った・・

2014年1月29日水曜日

「過去」は変えられないから・・

「過去」は変えられないから

「前」にすすんでいきなさい、と

言われた様な

気がした。


「いつも」

背中を押してくれて

「ありがとう」


「いつも」きっと

「私の迷った時」には

「そば」に

いてくれているような

「そんな」

気がして。


「あなた」の顔が

みえた

気がした。

2014年1月24日金曜日

Are you my ?

いつも

アメリカに住んでいる

誰か

「あの人」は

私の心の「別ブログ」で

私のことを瞬時に

「見て」くれてる。。


でも私には

その人が

「誰なのか」


わからない・・


いつも私の

「魂の声」を

静かに

聞いてくれている

人。


「あなたはいったい

誰ですか?」


Can you hear my voice

from the bottom of my heart ?

Are you my

" Soul Mate ? "

2014年1月23日木曜日

今日オモウこと。

いつか押し込められ来た

「人間の」怒りは

爆発する・・


あの大きな隣国で、

我が国日本が

過去長年に渡って

あれほど崇めてきた

「文化的に」崇高な国は

「お金」と引き換えに衰退した。


我が国が過去に辿って来た

都合のいい「西洋化」の道と

同じ様に変貌した。


丁度80年代に

「バブル」に浮かれてきた

「私達」と同じ

「幻影」に浮かれている。


「お金」は「魅力」のあるもの

「目の前にある物」は

「すべて」買える・・


そんな「人間」の欲望を満たし続けると

人間はある時から自分が「満腹」であることに

気づかなく

なる。。


そして一定量を超えるとまた「もっと」欲しくなる。

神経も外聞もマヒして聞えなく

自分の姿も「見えなく」なって

我さ先と「競って」

浅ましい「本能」を曝け出し

奪い合いをする。


「奪うだけ奪って」

「与えない」

人々の世界。。

そして人を散々利用して自分のことだけ考える「強者」だけが勝ち残る。


そんなモラルも何もない

恐竜時代のような人間達に

今現代の世界に生きる私達は

変貌しようとしているのか?


「お金儲けができれば」

「何でもいい?」

のであろうか・・


我々の尊敬した

文化的に先を行った

「国」はもう

模範にするには

「程遠い」存在となってしまった・・


「その過去」の精神文化と

「現代」の自分達を切り離した時に・・

自分達に都合のいい「西洋文明」を身に付けて

走り出してしまった私達は

もう「後戻りは」

できない。


( 6世紀に建てられた日本最古の仏教寺院飛鳥寺を移築した奈良市内の元興寺を見に行った後で、現代の私達に帰って、「感じた」こと。。 )

Before I died once..

「よくそんな人生で

今まで

明るく元気に

生きてこれましたね。」と

言われた。


そっか「そんな」

人生だったのか・・

「私」の

「覚えていない」

頃・・

Afer wrong long winter days..

小寒をすぎて、

外はまだ「大寒」の寒さだけれど、

なんだか少し”光”が前よりも

透明に「眩しく」感じられるようになって来た・・


「辛く厳しい」後には

より温かく眩しく感じられる「春」が来るのと同様に、

辛く暗く過ごした時間に

「少しでも」のやさしさや

「あたたかみ」を感じると

余計に「しあわせ」に感じられるのは

「このせい」かな?


いままで「当たり前」だと思ってたこととか

「とりとめのない」と思っていた人のコトバが

急にありがたく思えたり、

物凄く自分の力になったり・・


「辛く、暗い冬も」

それほど

悪くなかったりするのかも、

と思ったりもする。


「あの時の」

「春」の日々をまた

思い出して・・


薄く氷の張った池の向こう側から差す「光」を見て、

「寒い冬の後にはまた春が来るのよ・・」って。。


「光が差す」って

いい事だよね・・

「希望」という言葉にも似た。。


*「小寒(寒の入り)
寒さが最も厳しくなる時期の前半。
今年の寒の入り(小寒)は1月5日。(四年に一回リセットされる。)
『暦便覧』では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説明している。
この日から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、この日を「寒の入り」とも言う。(小寒の期間は大寒前日まで。)冬の寒さが一番厳しい時期。

小寒の期間の七十二候*は以下の通り。
初候 芹乃栄(せり すなわち さかう) :芹がよく生育する(日本)
次候 水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(日本)
末候 雉始雊(きじ はじめて なく) : 雄の雉が鳴き始める(日本)
大寒
現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日ごろ。
暦ではそれが起こる日。天文学ではその瞬間とする。

二十四節気のの第24。十二月中(通常旧暦12月内)。 冬至から1/12年(約30.44日)後で1月20日頃。
期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、すなわちこの日から、次の節気の立春前日までである。
西洋占星術ではでは、大寒を宝瓶宮(みずがめ座)の始まり。

*「七十二候」参照→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%80%99

2014年1月19日日曜日

I'll be your mirror..

” I'll be your mirror..”

私があなたの辛い時は

あなたの本当の姿を映す

”鏡”になってあげる。。

あなたがどうしても

本当のあなた自身を

”愛せない時は”・・

てね。。

" I'll be your mirror "
The Velvet Underground & Nico


I'll be your mirror
Reflect what you are, in case you don't know
I'll be the wind, the rain and the sunset
The light on your door to show that you're home

When you think the night has seen your mind
That inside you're twisted and unkind
Let me stand to show that you are blind
Please put down your hands
'Cause I see you

I find it hard to believe you don't know
The beauty that you are
But if you don't let me be your eyes
A hand in your darkness, so you won't be afraid

When you think the night has seen your mind
That inside you're twisted and unkind
Let me stand to show that you are blind
Please put down your hands
'Cause I see you

I'll be your mirror

2014年1月16日木曜日

正月15日・・

昨日1月15日は

「小正月」。


「神の国」と「人間界」が

まじわる

「最期の日」。


今日からは

「ふつう」通りの生活が
 はじまるのだろうか?


(写真は昨日行った
奈良春日大社、
外回廊から)


<「小正月」について(ウェブよりの抜粋)>

元 日を中心とした「正月(大正月・おおしょうがつ)」に対し、1月15日(厳密には14日の日没から15日の日没まで)を「小正月(こしょうがつ)」と呼ぶ。

「月」を暦の基準にしていた大昔の日本では、「満月から次の満月まで」が一カ月でした。昔の人は満月をめでたいものの象徴としていたようで、一年で 初めての満月の日を「正月」にしていたのが「小正月」の起源。

小正月(こしょうがつ)とは、正月15日の行事である。または、14日から15日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。(由来は、中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。)前夜を十四日年越しといい,年越しの一つに数える。小正月で,正月行事は終わると考えるのが普通である。

元日が正月として定着すると、小正月は豊作を占ったり、鬼追いをしたりと、大正月とは違う特殊な行事が中心になりました。また小正月は、お嫁さんが里帰りしたり、大正月に忙しく立ち働いた女性たちも一休みすることができるので、「女正月」とも言われる。

小正月の代表的な行事に豊作祈願の意味を込めた「みずき団子(餅花)」や、正月飾りを燃やす悪霊払いの行事「どんと焼き」などがある。一般的に小正月 の終わりは20日とする地域が多いようだが、元々は悪霊払いだった「どんと焼き」が、やがて正月にやって来た年神さまを天に送り返す火と見るようにな り、これをもって正月(大正月・小正月)の終わりと位置づける見方も生まれた。

かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民祝日となった。



( 悪霊を追い出す「どんと焼き」・・
昔正月15日にやっていた若草山の山焼きや、
元服の行事だった正月に行われてた成人式も、
みな、「15日(小正月)」にやる意味があったんだネ・・ )


昔は月を基準にして東アジアの「世界」が廻っていたから、
15日は「小正月」だったんだな。。
そして「正月」や「小正月」の字も、「(小さな)正しい月」と書く。
なんだかわかったような。

きっと
「十五夜」とも
関係あるんだね・・

なんだか昔の人の方が
「月の満ち引き」の人間の自然なリズムに合った生活をしていて、
いい意味でスピリチュアルなものをもっと大切にしながら
もっと「ロマンチスト」だったような気がする。

2014年1月14日火曜日

Words become yours..

自分の心に響く

「コトバ」を拾い集めれば、

「いつか」はそれがすべて

「自分のコトバ」となって

自分の内側から

「発信される」。


そう信じています。


そしてまたそれがいつかは

「あなたのコトバ」となって。。

新しい別の「世界」がクリエートされていくんです。

きっと

2014年1月13日月曜日

The girl you see..

" The girl you see "

is that really the way I am ?


You never know

underneath of the veil of my heart

what is hidden inside..


I have so many different faces..

you only see the 

"part" of it..


You will never "see" my real face..

「あなたはひとりじゃない」

みんな

「それぞれの」想いを

抱えながら

生きていく・・

「本当の」事を言うと

「弱い自分」を曝け出すことに

なるからか、

強者の「鎧」をかぶっていたとしても

その鎧を脱いで

「ひとり」で部屋で泣いていることもある・・


「完璧」な人間など

この世に存在しないのと

同じ様に

「完璧」な人生など

存在しない・・


それぞれが「壁に」

ぶち当たりながら、

その壁が高ければ高いほどに

それを乗り越えようと

「努力」すればよいのだけれど、

「その壁」が

途方もなく

今の自分の力で

「飛び越えるには」

「高く」みえて

悲嘆に暮れる日もある・・



「そんな日は部屋で

ひとりになっても

いいんだよ。。」って

「私も同じだから・・」

だから

「あなたは決して

ひとりじゃない・・」

Without "fear", people can't live..

もし人間が

「畏れ」をなさずに生きれば、

どういうことになるでしょうか?


自分の置かれた環境や

自らの生きていく道、

そして自分の信じていたこと、考えていたことなど

もし何も感じずに

ずっと

一辺倒に

「それが正しい」と

いうことばかり考えていたら、

「破壊」は繰り返され、

決して学ばずに、

同じ「過ち」は繰り返されていく・・


なので、

その「畏れ」に

「からだ」や「こころ」が

「すべて」支配されない限りは

(「そちら」が中心になって「にっちもさっちも」いかない状態)

自分自身に対しても、

「周り」を取り巻く環境に対しても、

時には「目に見えない」ことに関しても、

「おそれ」を抱くことは

「必要」ではないかと

考えます。


きっとそのお蔭で

「軌道修正」できたり

「正しい道」へと

「じぶん」を導くことも

できるから・・

年末からお正月にかけて・・

勝手な想像ですが。。

年末から

お正月にかけてって、

日本と言う国の中では

とても他とは違う

「神聖」な

時ですよね・・


だからか知らないけど・・

私の周りでさいきん特に

その「時空の狭間」で

普段とは違って「不安」を

抱えて

急に不安定になって

生きている人々が

多くいるような気がするのです・・


「敏感なんだろうね、きっと・・」って。

(「私」を含めて・・)


なんだろう

「神の国」と「人間界」が「交信している」とき。。

(その境界線が「曖昧になる・・」)

みたいな・・


なんだか

そんな理由もあるのかな?

って

「勝手に」

想ったりもしています・・

「今日この頃」

Where I come from, where I'm going

私たちは

一体どこから来て

「どこ」に向かって

進んで行こうとしているのだろうか?


今までの3年間に起こった事を

総括してみると

それまで

「見えていたものが」

誰かの

「見せたかったもの」



「信じてきた物」が

「誰かの策略により

”そう”信じ込まされてきた」ことが

少なからずとも

一般民の

私達でも

わかったであろう。。


「その事」を踏まえて、

「前」に進んでいかなければならない。


後ろを振り返ることは

いつも

「うしろ向き」だとは

限らない・・

思い返すことで

また

「過ち」を

防ぐこともできる・・


我々は3年前に

「時計の針」を

戻すことができないから



すっかりと

「変わってしまった」

環境の中で

歪められてしまった未来を背に

希望を捨てずに

どうにか

「生きていかなければ」

ならない。。


だから

Where do I come from ?

and where am I going ? と

いつも自分に

「問いかけることは」

必要なのである、

と思う。


「個人レベル」で

ひとりひとりが

考え直すことによって、

「この世界」は

「広がっていく」と

想うから・・

もうすぐ3年・・

これから

「やってくるであろう」

恐怖に怯えながら

暮らした日々を

思い返す・・


「3年経ったら」

もう

まだここにいても

「あんぜん」という

日が

訪れるのであろうかと

仄かな

「希望」を抱いて

「夢見ていた」

日々・・


もうすぐ

その

「3年」が

やって来ようとする・・


「砕かれた」大地は

少しずつ

「平常心」を

取り戻しつつある・・


「我々」が「その」

上に乗っている間はもう

「あんなこと」は

起らないのかもしれない・・


でもまたきっと

今の現状によって

「未来」を歪められた

のちのちの私達の血を継ぐ

「子孫」たちが

また

同じ様な目に

遭うかもしれない・・


彼らの中には

「歪められた遺伝子」を

生まれながらにもっている子も

いるであろう・・

我々の犯した

「罪」の

生まれながらに

「十字架」を

背負わされた子供達の末裔・・


その頃にはもう

この現代に生きる我々の

恐怖の

記憶は

きっと「薄れ去っている」だろう・・


だけど

「二度」と

同じ過ちを繰り返さないように、

私達は自分の

子供達へと

語り継がなければいけない・・


「同じ過ち」を

「繰り返さない」ようにと・・


澄み切った

空と大地、

そして我々日本人が囲まれて暮らしてきた

「恩恵」とも言える

海を

汚してしまって

ごめんなさい・・


我々は「それ」なしでは

生きれないのに・・

そこに生きている生物たちは

「そんなこと」が

人間の力によって

「起ってる」なんて

知る由もなし・・


そして我々は

「汚してしまった」と知っていても

今日もまた

「そこ」に頼って

生きていくしかない・・


そしてまた

我々の躰は

「その循環の中」で

「汚されて」

いく・・



一体

「誰の為の」

原発なんであろうか?

木漏れ日の色は・・

木漏れ日の色は

いのちの芽吹く

光にも似て、

これから

生きていくであろう

「希望」を照らす。


我々に明日はあるのであろうか?


いつの日かまた

やってくる

3年越しの

「春」を

待ち侘びて・・

2014年1月10日金曜日

- When you are - " Fallen "..

ときどき、
「どこまでも落ちていく」
感覚を
「覚えた」ことは
ありますか?

" Without control

you fall down

from head to toe.. "

(まるで頭の上から下まで”すとーん”と抜けたような感覚・・)

まるで「夢の中」のお話だけど、
私はそんな
感覚を
最近、
よく覚えます。

そんな時には、
きっと
「同じような」
感覚を
おぼえたことのある人の
曲を聴くのが
「いちばん」だと
想って
聴いてみました・・

Sarah McLachlan
” Fallen..”



" Heaven bend to take my hand
And lead me through the fire
Be the long awaited answer
To a long and painful fight

Truth be told I've tried my best
But somewhere along the way
I got caught up in all there was to offer
And the cost was so much more than I could bear

Though I've tried, I've fallen...
I have sunk so low
I messed up
Better I should know
So don't come round here
And tell me I told you so...

We all begin with good intent
Love was raw and young
We believed that we could change ourselves
The past could be undone
But we carry on our backs the burden
Time always reveals
In the lonely light of morning
In the wound that would not heal
It's the bitter taste of losing everything
That I've held so dear.

I've fallen...
I have sunk so low
I messed up
Better I should know
So don't come round here
And tell me I told you so...

Heaven bend to take my hand
Nowhere left to turn
I'm lost to those I thought were friends
To everyone I know
Oh they turn their heads embarassed
Pretend that they don't see
But it's one missed step
One slip before you know it
And there doesn't seem a way to be redeemed

Though I've tried, I've fallen...
I have sunk so low
I messed up
Better I should know
So don't come round here
And tell me I told you so... "

She accompanies your pain,
When you are "Fallen"..

自分の想いの断片を・・拾い集めて

自分の「想い」を

「日常生活」から切り離して、

記憶の断片を

心の奥深く

鎮めようとしても、

いつかはきっと「ふつふつ」と浮き出して、

「自分を苦しめる」時が来るから、

そうきっと「時々」

こうやって、

そういう「想い」を

一度は「忘れ去られた」

心の奥底から攫って、

その想いのキラキラと光った剝き出しの断片を

「眺める」ことも

必要なんだな・・って

想った・・

2014年1月10日


「剝き出し」の断片は

いつかまたきっと

私の目の前に「甦って」くるから・・


2年3ヶ月と14日・・

さいごにこのブログを更新してから、
2年3か月と14日が過ぎた・・

「あれ」からもうそんなに経っている・・
「あの頃」はまだ、あの「事故」から半年ちょっとしかたっていなくて
「時間」が過ぎるのが途方もないように感じていた

「あと3年経てば・・」「いくつか」の「半減期」が過ぎる・・
そう想ってもうすぐその「3年」が過ぎようとしている・・

あの夢のような出来事は現実であって、でもまた今の現実の中にまるで
「夢の中」で起ったことのように、我々の目に見える日常の中には
まるで「幻想」のように記憶の中に消え去っていってしまいそうな、
「目を凝らして」注意して見てみないと、またどこかに
「策略」通りに「隠されて」しまうような、
「そんな」気がしてならない・・

人間の記憶とは、「あいまい」なもので、あの時あれほど気をつけて「危険」だと想っていたものを今となっては 「口」にする事も出来る。。
でもきっとこのまま日本の食糧を考えもなしに食べ続ければ、
いつか私もきっと体を壊すであろう・・
(一度「破壊」さたものは二度と元通りには戻らないから・・)


「あれほど「注意」を呼びかけていたのに・・」って
「自分でも」思う。

きっとこんなことも人間は、「忘れ去って」しまうのだろうか?って想う・・ いつかは・・

でも「記憶の底」に沈められたものは
「いつか」顔を出す・・

それは5年後かもしれない、
10年後かもしれない・・
もしかすると「死ぬまで」想い出すことのないことなのかもしれない・・

でもいつかきっと「あの時こうしていれば・・」と思う時が来る。。

そんな時がせめて自分だけにも来ないように
そして周りの人達だけ、「声」を聞いてその声が自分の「内側」にだけでも
届くようであれば、それはそれでよかったのかもしれない。。と想う。

「すべての人」を守ることはできない。
其々の人が其々の生き方と価値観の中で、
「自分の一番いい道」を決めたのだから、それは
誰にも変えられることはできないし、
私の責任でもない・・

ただ「後悔」することのない、「人生」だけ
歩みたいと想う・・

時々こうやって「足取り」を留めて、
「振り返る」ことも重要・・

こうやって書いてることがいつか自分の「耳」に聞えて、
「心」に響く時があれば・・


「あれは「幻想」なんかじゃなくて、ほんとうは「現実」だったのかも。。って。」
想う時が来るから。。いつかは

「ふしぎ」だね
。「人生」って・・