2011年6月17日金曜日

夢と現実が逆転した、迷宮に迷い込んだような日々の中で

日本からヨーロッパに戻ってきて、3週間が経った。

あっという間の日々であった。

特別何をしていたのか思いだせないほどであったが、まるである映画の中にいるように、夢うつつのような気分の、ある時”ふと醒めたら”それがまだ現実であったかのような、まるで夢と現実が逆転したかのような日々である。

( よく人間は、夢から覚めると”あ、・・ゆめでよかった”と思うことがあるが、最近は夢から覚めると、”あ、あれは現実だったんだ・・”と思う日々。 )

本当に私の周りには、不思議なことが起こる。
もちろん万人にとって悪夢である、あの津波と福島の原発事故もその中の事象として含まれるのだが・・・

個人であっても、おおきな大事故や大事件であったも、はたまたそれから考えられる我々の”運命”についても、さまざまな”お告げ”が我々の元に届く。

いつもなぜかその探していることの”紐解く鍵”が、与えられてしまうのだ・・

いつも直感的に”これは・・”と思ったことには、意味がある。
そしてその”おかしいな、”と思った理由についてこころの中で検証し、仮定をいくつか進めていくと、正しい答えに辿り着いたりする。 いつもこんな感じ。特に3・11以降は。

そしてまた、”あれ、もしかして・・”と思って調べていると、その”鍵”を解くための書物が、”どさっ”と天から落ちてくるようだ。(ネットであっても・・)
ときどき、外を歩いていて、ふと目の前に、その鍵を説く書物や資料が、目の前にまるで”スポットライト”が当たるように、(こんなことをいってしまってはなんだが)、目の前に飛びこんでくることもしばしば・・
そしてその飛びこみ方がふつうではないので、中を開けてみると・・・
”やはり・・”ということが多いから、不思議だ。
そしてもちろんそれを”読み解く”のもわたしの力にかかっているのだが・・・
まるで誰かが”伝えよう”としてくれているような気がする時も・・

こうやって、いろんな背景がわかってきた。
原発関連のこの世の中のしがらみも、個人的な事であっても・・・
もしかしてこの”宇宙”が与えている試練、に関しても意味があるのでは、と思えるようになってきた。
(そしてまたそれは何かの”サイン”であるのかもしれない・・・)

ひとついえることは”おかしいな”、とおもったことにはその理由がある、ということだ。

まるで”この世の中に偶然は存在しません”とだれかが言ったように・・

まるで不思議な映画の迷宮に迷い込んだような気がするが、”アリス”のようにその不思議をひとつひとつ謎といて、前に進んでいかなければならない。

今は蜘蛛の巣のように複雑に絡み合っているように見えても、その糸は、実は規則正しく、繋がりをもって紡がれているのだから・・・( そしてその”繋がり”は、実はおそろしく単純なものだったりする・・ )

我々はその”試練”を乗り越えることで、考え、解決方法をみいだし、成長していくものであるのであろう。( そしてそれを見ないように、見ない振りをしている人には、あとで試練がやってくる、という仕組み・・ きっと彼らには、今それを”乗り越える”力は与えられていないのであろう・・・ )

しかしある事象で人間が引き起こしたことに対する、最善のそれを解決する方法があったとしても、
我々はそんな中で大いなる”宇宙の運命”までは変える力は持っていないだろう。
ただ受け入れるのみか、そのインパクトを極力小さくする以外は・・・

我々はもうすぐこの”現実”という名の夢から目を覚め、白昼夢を見ながら過ごさなければいけない現実が待っているだろう・・ それはとてもカナシイことであるが、我々人間には、現実を忘れ去ること以外には残された時間をいかに「楽しく」過ごすかの方法を他には知りえないのかもしれないから・・

( 最近の私は、この現実の”悪夢”から逃れるために、眠りの中に”安らぎ”を見出しているような気さえもしてしまうのだ・・・ 夢の中では安心して”甘い夢”をみれる、という現実。 )

2011年6月8日水曜日

日本から帰国して

5月に日本での2週間という短い滞在が終わった。
最初は4月の10日過ぎから行く予定だったから、かなりの短縮。
もちろん”あッ”という間に日が過ぎた。
もちろんそしていつもより緊張しながら、である。

いつもは到着後すぐ、関西空港のコンビニでさっそくおにぎりと緑茶のペットボトルを買う私だが、この日は早速マスクと外国産の水のペットボトルだけにした・・

そして私はその発着の関西から動くことはなかった。
帰国直前にまた、福島第一原発から、大量の放射能放出の予定のニュース。
”なんてタイミングが悪いんだろう・・”と思っていたら、関西は黄砂にまみれ、その上到着の2日後には何と今度は福井の原発で放射能漏れがあり、京都などでも観測される始末。

なんて重なるんだろう、と思ったが、関西にしては重装備でマスクを欠かさず、帽子も被り、帰宅するとすぐにシャワーを浴びて、外で着ていた服は隔離する、という事を行っていたが、ドイツ気象庁の関西への放射能飛散予測が、解除された次の日の夕方、ある用事があって、全速力で、それもマスクなしで自転車で15分くらいの所の中央郵便局まで出掛けた・・・

雨は降っていなかったが、もの凄い突風の日。
思いっきり空気を吸い込んだはず。
空気中には黄砂のようなものが感じられた。

そして家に帰って2時間後、夜9時当たりに料理中に家の換気扇を回し始めると、急に喉の下(ちょうど鎖骨の裏辺り)が急激に痛み出して、呼吸困難のような状態になった。そして12時くらいに寝るまでその喉の痛みと定期的に襲ってくる機械的な痛みとぜんそくのような呼吸困難はおさまらなかった・・・(そして寝ている間も、次の日起きてもその痛みはあまりとれなかった。少しはましになったけど。)そしてまた数日同じような症状が続く。

ネットで確認してみると、直前に福井で放射能放出のニュース。
この私の急激な体調の変化は、この福井のものによるものか、はたまた黄砂か、それとも唯精神的なものから来ているのかはわかならかったが、こんなことは今までなかったのでかなり吃驚した。
そしてその放出の直後、福井の原発の目と先である琵琶湖に雨が大量に降ったせいか、琵琶湖水源の大阪の水道水の放射能値も上がっていた。(5月13日、0.3Bq/L) 大阪では今までの値を上回った為、原水と上水の両方で緊急に調査が行われた。(原水では高かったものが、上水では平常値になっている、というお知らせ。)

ここまで気を使ってくれるのは、過去からずっとこの水道水の放射能値を測り続けてきたせいもあるだろう。(大阪市水道局)

今日本の水道水は、暫定的に20Bq/Lであれば、不検出または安全としていいという事になっている。
しかし大阪の過去の値を見ると、年平均値は0.07Bq/Lである。
それに比べると、今の日本の暫定基準値はなんと、285倍なのである。

ふだんよりも285倍の放射能入りの水を飲んでも(または飲み続けても)”安全”だとか不検出にしているなど、私なんかは考えられない。
そしてその間もずっと東京の水道水の値は、”不検出”ながらも6とか7という数字が並んでいた。
おそらく6か7Bq/Lということであろう。しかしこれでも大阪の平均値から言うと、その100倍にも当たるのである・・・(そして一番高かった0.3Bq/Lから比べても20倍・・)

絶句しそうになるがこれが今の現実なのである・・

そして食料に関しても”完全防備”で、イタリアからパスタ、トマトの缶詰、ツナの缶詰、パセリ、ジェノベーゼ・ソースなどを持ち帰り、日本での生野菜や材料の購入は完全に避けた。朝ごはんも、イギリス製の紅茶や、欧州産のビスケット、フィリピン産のバナナやニュージランド産のキウイ。食べたお米も去年のもので、付け合わせも事故前に購入たしたもの。
ここまでしてる人は少ないかもしれないが、安全が確認されていない限り、用心に越したことはない。もちろん水も、ヨーロッパのものはなかったので、米や韓国、そして福島からなるべく遠い、四国や沖縄の水を買って、飲料用以外にも料理や歯磨きにも使った。

しかしその反面、あまりにも”フツー”に生活をしている関西の人を見て、気持ち悪かった。
まるで”何も起きていない”、または”関係ない”風に表面的にはみえる。

関西空港に降り立った時も、”東京は電気が消えていて薄暗い”と聞いていたのに、真昼間の明るい場所にある空港内の店の看板や必要ないと思われるエレベーターの真横にも煌々とに電気が付けられていた。(ここには”自粛ムード”はなかったのである・・)確かに、関西が節電をしたことろで、東日本の電力不足が解消するわけではないのだが、ちょっとビックリした・・

街に出ても、いたって人々は普通。
黄砂があんなに酷くても、マスクをする人すら少ない。
今まで日本が世界で一番マスクをしていてもじろじろ見られない国だったのに、今回私も”化学物質過敏症”のような症状が出たので、それからは特に外出時はマスクは欠かさないようにした。やはりしていると”何かあったんですか?”風にちょっと心配したまなざしで見られている気がとてもした。

JR大阪駅の上に新しくオープンしたファッション・ビルや伊勢丹の辺りも、今日本が直面している問題を考えると、山のように人がいた。

ツイッターのコメントやUstreamやニコ生で流される原発関連の番組へのコメントなどを見ているのと、まるで別世界のような人々の反応だ・・・

そして日本の地上波では、相も変わらず、原発事故の状況についてのニュースより、特に昼間やGTもNHKは”お涙頂戴”や、チェルノブイリでも大丈夫だったベラルーシュ人の看護婦を、現松本市長のベラルーシュで治療を行って来た医師の福島での講演の様子もそっちのけで、まるで”安全デマ”のようにフィーチャーしていた・・・

しかしよく見ると、街の人は実は皆”普通のフリ”をしているようにも思える。

というのはやはり、若い20代くらいの女の子を中心にマスクをしている子は大阪の中心街ではよく見かけたし、それについて話の出来る友人と京都行きの電車にのって、原発問題について語っている、周りの人たちがじーと静かに緊張した面持ちで、私達の話に聞き耳を立てているのが感じられた。
同じく、いつも歯石のクリーニングに行く大阪の歯医者でも、そういった話を帰り際、おなじみの歯医者さんとしていると、スタッフが緊張した面持ちで聞き入っているのが伺える。

じつはみんな、関西にいても”気にはなっている”のである。
しかし国内の表面的なニュースでの情報が、かなり統制され少ない為、”一体何が起こっているんだろう”と感じている人は若い世代にはより多い気がした。(30,40代以下くらい)
お年寄りは、何食わぬ顔で生きている。

そして段々とNHKにも変化が見られた。
ETVでは福島での放射能汚染地図の作製を行う専門家たちの様子や、BSでは、ロシアの核実験施設近くの汚染、フランスの再処理工場近くの汚染をを調べたものや、ロシアでの最終核燃料の行き先を取り上げた仏制作のドキュメンタリー、、フィンランドでの地下核最終廃棄場の建設を取り上げた映画「10万年の安全」を3夜連続夜中12時から行い、真夜中直前の時間帯にはNHKで、石川解説員が丁寧に学校での放射能測定と汚染地図作製を勧めていた・・・

そして日本での食料品の買い物は殆どしなかったが、近所のスーパーで野菜の産地をチェックしてみることにした。・・
するのなんと殆どの野菜が、四国、九州産。
ジャガイモって鹿児島だったんだ!?と思うほど、全部が北海道産ではなく鹿児島、他の野菜も佐賀、徳島産が多かった。
その徳島産の玉ねぎの横にひとつだけ、”特価”になっていた茨城産の玉ねぎが山積みにされていた・・・(そしてその横には見たことのないほど”汚い”ニュージーランド産の玉ねぎまで並んでる・・・)
他のもメキシコ産のものもあった。

結局やはり、東日本の野菜は、皆ふつうの顔をしていても、買う人はここ関西でも少ないようである・・・ そして気のせいか、スーパーの鮮魚売り場も、コンビニのおにぎりで魚やシーフードものはとても多く残っていた・・・
二度と食べれないかも、と思い、明太子入りのおにぎりを日本から出国する直前に買って食べたが、ちょっと後悔した・・(もちろんお水はアメリカ産のクリスタル・ガイザー・・)

そして運悪く、出発3日前くらいから、実は風向きが変わり、関西にも放射能雲が飛んでくる予測が出た。
木造の為、部屋だけでも、と思い念入りにシールした。
大阪の水道水の値もこまめにチェックしてみたが、雨も降ったが、以前の福井の放出時ほど上がらず、ほとんど平常値のままだった。(以前は福井と福島が重なった時だったが、きっとこれは福井のが関西は強かったんだろうという推測が出来た。)

しかしその1回目の福井からの放射能漏れのニュースの直後に、大阪では、放射性セシウムが通常の100倍観測された、というニュースが飛び交った・・・

そして滞在の間で一日、”今日は放射能飛散予測も大丈夫で天気もいいから空気を入れ替えよう♪”と思った日に、なぜかいつもでるようなアレルギー反応的な、体の中から腫れてくるような(特に顔)感じがして、ガスっぽい匂いが空気中に漂う・・・と思っていたら、なんとその日も福井から放射能ガスが漏れていたという後からのニュース(2回目)・・・

丁度もんじゅの修理(なんでも”おっことしたものを取りに行くという”・・・)作業の直前でもあった・・

最後の福島からの放射能が通る予測の時は、喉の痛みや身体や顔の腫れはなかったが、なぜかその数日、体から電磁波がでてるのでは?と思うような、表面のピリピリ攻撃感があった・・・ そしてなぜかそれは、またフランスに帰ってからも暫くしてから続いているのである・・(調度2週間くらい経ってからだが・・)

因果関係はあるかどうか分からないが、最近WHOが”携帯電話は癌を引き起こす”と発表したばかり。何故今のタイミングで発表するのか?ととても疑問に思うが、もちろんPCからも電磁波は出ている。なので、PCをよく使う私は、実は放射能を浴びた体に電磁波が近づくと、より体に流れやすくなったりするのでは?と勝手な想像を張り巡らせてみたりするのだ・・・

日本出発前に関西空港内をもう一度見てみると、自動販売機の陳列の電気は全部切られていた・・・最初到着した時も、蒸し暑かったにも関わらず、少し冷房がいつより設定温度が気持ち高いような気がしていたが・・・

そんなこんなんなな体調不良もあり、最初も言ったように”あっ・・・”という間に滞在期間が終わった。今までに最短の、一番緊張した日本滞在であった。
そして、この短い滞在で実際、その事態の渦中にいながら、自分がいつも”客観的な”目をもって情報分析したり、考えたりすることの難しさも感じた・・・(やはりどこか自己防衛本能が働いてしまう・・・)

そしてこの状況と感覚は、日本一時帰国時にこれからも続くのであろうか、と憂いが心を覆う・・