2014年1月16日木曜日

正月15日・・

昨日1月15日は

「小正月」。


「神の国」と「人間界」が

まじわる

「最期の日」。


今日からは

「ふつう」通りの生活が
 はじまるのだろうか?


(写真は昨日行った
奈良春日大社、
外回廊から)


<「小正月」について(ウェブよりの抜粋)>

元 日を中心とした「正月(大正月・おおしょうがつ)」に対し、1月15日(厳密には14日の日没から15日の日没まで)を「小正月(こしょうがつ)」と呼ぶ。

「月」を暦の基準にしていた大昔の日本では、「満月から次の満月まで」が一カ月でした。昔の人は満月をめでたいものの象徴としていたようで、一年で 初めての満月の日を「正月」にしていたのが「小正月」の起源。

小正月(こしょうがつ)とは、正月15日の行事である。または、14日から15日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。(由来は、中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。)前夜を十四日年越しといい,年越しの一つに数える。小正月で,正月行事は終わると考えるのが普通である。

元日が正月として定着すると、小正月は豊作を占ったり、鬼追いをしたりと、大正月とは違う特殊な行事が中心になりました。また小正月は、お嫁さんが里帰りしたり、大正月に忙しく立ち働いた女性たちも一休みすることができるので、「女正月」とも言われる。

小正月の代表的な行事に豊作祈願の意味を込めた「みずき団子(餅花)」や、正月飾りを燃やす悪霊払いの行事「どんと焼き」などがある。一般的に小正月 の終わりは20日とする地域が多いようだが、元々は悪霊払いだった「どんと焼き」が、やがて正月にやって来た年神さまを天に送り返す火と見るようにな り、これをもって正月(大正月・小正月)の終わりと位置づける見方も生まれた。

かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民祝日となった。



( 悪霊を追い出す「どんと焼き」・・
昔正月15日にやっていた若草山の山焼きや、
元服の行事だった正月に行われてた成人式も、
みな、「15日(小正月)」にやる意味があったんだネ・・ )


昔は月を基準にして東アジアの「世界」が廻っていたから、
15日は「小正月」だったんだな。。
そして「正月」や「小正月」の字も、「(小さな)正しい月」と書く。
なんだかわかったような。

きっと
「十五夜」とも
関係あるんだね・・

なんだか昔の人の方が
「月の満ち引き」の人間の自然なリズムに合った生活をしていて、
いい意味でスピリチュアルなものをもっと大切にしながら
もっと「ロマンチスト」だったような気がする。

2014年1月14日火曜日

Words become yours..

自分の心に響く

「コトバ」を拾い集めれば、

「いつか」はそれがすべて

「自分のコトバ」となって

自分の内側から

「発信される」。


そう信じています。


そしてまたそれがいつかは

「あなたのコトバ」となって。。

新しい別の「世界」がクリエートされていくんです。

きっと

2014年1月13日月曜日

The girl you see..

" The girl you see "

is that really the way I am ?


You never know

underneath of the veil of my heart

what is hidden inside..


I have so many different faces..

you only see the 

"part" of it..


You will never "see" my real face..

「あなたはひとりじゃない」

みんな

「それぞれの」想いを

抱えながら

生きていく・・

「本当の」事を言うと

「弱い自分」を曝け出すことに

なるからか、

強者の「鎧」をかぶっていたとしても

その鎧を脱いで

「ひとり」で部屋で泣いていることもある・・


「完璧」な人間など

この世に存在しないのと

同じ様に

「完璧」な人生など

存在しない・・


それぞれが「壁に」

ぶち当たりながら、

その壁が高ければ高いほどに

それを乗り越えようと

「努力」すればよいのだけれど、

「その壁」が

途方もなく

今の自分の力で

「飛び越えるには」

「高く」みえて

悲嘆に暮れる日もある・・



「そんな日は部屋で

ひとりになっても

いいんだよ。。」って

「私も同じだから・・」

だから

「あなたは決して

ひとりじゃない・・」

Without "fear", people can't live..

もし人間が

「畏れ」をなさずに生きれば、

どういうことになるでしょうか?


自分の置かれた環境や

自らの生きていく道、

そして自分の信じていたこと、考えていたことなど

もし何も感じずに

ずっと

一辺倒に

「それが正しい」と

いうことばかり考えていたら、

「破壊」は繰り返され、

決して学ばずに、

同じ「過ち」は繰り返されていく・・


なので、

その「畏れ」に

「からだ」や「こころ」が

「すべて」支配されない限りは

(「そちら」が中心になって「にっちもさっちも」いかない状態)

自分自身に対しても、

「周り」を取り巻く環境に対しても、

時には「目に見えない」ことに関しても、

「おそれ」を抱くことは

「必要」ではないかと

考えます。


きっとそのお蔭で

「軌道修正」できたり

「正しい道」へと

「じぶん」を導くことも

できるから・・

年末からお正月にかけて・・

勝手な想像ですが。。

年末から

お正月にかけてって、

日本と言う国の中では

とても他とは違う

「神聖」な

時ですよね・・


だからか知らないけど・・

私の周りでさいきん特に

その「時空の狭間」で

普段とは違って「不安」を

抱えて

急に不安定になって

生きている人々が

多くいるような気がするのです・・


「敏感なんだろうね、きっと・・」って。

(「私」を含めて・・)


なんだろう

「神の国」と「人間界」が「交信している」とき。。

(その境界線が「曖昧になる・・」)

みたいな・・


なんだか

そんな理由もあるのかな?

って

「勝手に」

想ったりもしています・・

「今日この頃」

Where I come from, where I'm going

私たちは

一体どこから来て

「どこ」に向かって

進んで行こうとしているのだろうか?


今までの3年間に起こった事を

総括してみると

それまで

「見えていたものが」

誰かの

「見せたかったもの」



「信じてきた物」が

「誰かの策略により

”そう”信じ込まされてきた」ことが

少なからずとも

一般民の

私達でも

わかったであろう。。


「その事」を踏まえて、

「前」に進んでいかなければならない。


後ろを振り返ることは

いつも

「うしろ向き」だとは

限らない・・

思い返すことで

また

「過ち」を

防ぐこともできる・・


我々は3年前に

「時計の針」を

戻すことができないから



すっかりと

「変わってしまった」

環境の中で

歪められてしまった未来を背に

希望を捨てずに

どうにか

「生きていかなければ」

ならない。。


だから

Where do I come from ?

and where am I going ? と

いつも自分に

「問いかけることは」

必要なのである、

と思う。


「個人レベル」で

ひとりひとりが

考え直すことによって、

「この世界」は

「広がっていく」と

想うから・・